起きてくる様々な出来事には必ず深い意味がある【人生の冬】を過ごす方法!
必ず何度も訪れる【人生の冬の時期】の過ごし方をご紹介します。
1.苦難は幸福の門(苦難福門)
昭和24年、戦後の荒廃した日本人の魂を呼び戻すために初版発行された「万人幸福の栞」丸山敏雄著(新世書房)の中に「苦難は幸福の門」という言葉があります。
諺で、「禍を転じて福となす」というものがあります。 少し違う表現で「禍福はあざなえる縄のごとし」というのもよく知られた諺です。
禍福とは…正反対のようでいて、実は表裏一体の関係にあります。
「楽は苦の種、苦は楽の種」も「禍は福の依る所、福は禍の伏す所」もすべて同じ意味になるでしょうね。
同じ意味なのに、様々な表現を作りだした古人にとっても、人生は苦の連続なるものだったのでしょう… だからこそ、その合間に咲く「幸福」という花が大変美しく思えたのかもしれません。
つまり、「苦難は幸福の門」であり、その奥には幸福が待ち構えているとわかれば、笑顔で堂々と歩んでいけます。
ただ、一つ注意したいのは…
「…(福と)為る」ではなく、「…為す」ということ。
禍がたまたま福となったのでなく、福に転じさせるのであり、
それは、災いに見舞われた中で、的確に状況を読み、決断し、実行しなければ、福への逆転など到底できないということを肝に銘じておかなければならない、わけです。
スピルバーグ監督「ジョーズ」の名シーン誕生秘話
沢山ある中の実例の一つに、スピルバーグ監督の実話があります。
名監督と誉れ高いスティーヴン・スピルバーグは、少年の頃から8ミリカメラで自主的に映画を製作していたのは有名な話。 一躍彼の名が知れ渡ったのは、1975年公開の「ジョーズ」が大成功を収めてから。
当時は今のようにCGの技術などなかった時代なので、「ジョーズ」の撮影は難渋をきわめたそう。 海上の撮影はどの監督も嫌がる中、スピルバーグはその困難に挑んだものの、一日中撮影しても、ワンカットしか得られない日が続いたという。
そして、そんな時とんでもないハプニングが起きたのです。 大きな模型のサメを海中に入れて動かそうとしたところ、潜水艦のように海底へと沈み、破裂分解してしまったそう。 日程や費用のこともあり、監督交代の声も聞こえる中、そんな最悪の状況下で、スピルバーグ監督に天啓がひらめいたそう。
「サメそのものを見せずに、その存在だけを暗示する。」
この映画の最も有名なシーン。ヒレだけを見せることで与える最高の恐怖。
結果的にこの映画を大成功に導いたのは、皆が知るところ。
『自分の身にふりかかった災難や失敗も、うまく利用すれば有益となる。』
それをやってのけたスピルバーグ監督の、平素の努力や情熱が、逆転をもたらす天啓を呼び込んだのでしょうね。
2.偶然などない。すべて必然。
西洋的な考えからすれば、良し悪しの二元論的に物事を解釈してしまいがちです。
例えば、春の時季を好ましいと思い、冬の時季を好ましくないと思ったり…
ただ、広く知られている『易経』などの東洋思想にある陰陽説は、この世の中に存在するものは、相反するものの調和によって成り立っている、という考え方です。
光があれば影があり、表があれば裏があり、上りがあれば下りがある…ということで、
例えば、男性と女性がともに調和することによって、今日まで生命を発展させてこれたわけです。
それは、身の回りに起こる出来事についてもすべて同じ。
現実に事故や災害、病気などで自身に受ける不幸についても、悲嘆に暮れてしまう、人としての当然の感情と同時に、その辛さを静かに受けれて前進していくときに、「あの出来事にはこういう深い意味があったのか」と新しいきづきや幸福感を得られる瞬間が必ず訪れます。
この世の中に意味のないことは一切起きない。
これは、私などの凡人がいうまでもなく、古今東西の偉人伝の言葉の随所にちりばめられた教訓であり、人生の法則。
美しい花は人々の心を和ませますが、その花が美しいのは花の部分だけではなく、地中でしっかりと根を張っているからこそ、養分を吸収し、美しい姿で立っていられます。
つまり、すべてにおいては、陽(プラス)と陰(マイナス)の両面が同じだけあってこそ、それらがお互いにバランスを取り合って、美しく立てることができる、そう思います。
誰にでも起こりうる悲しく辛い出来事が到来したときは、自分を深く内省し鍛えるための冬の時期。その有り難い鍛錬の時期をどのような気持ちで受け止め、どのようなココロの状態で過ごすのか?
- 因果応報を忘れて、自分の不幸をすべて周りのせいにして荒々しく他人に当たるのか?
- 不幸な少女さながらに、いつまでも他人に依存しておねだり恩恵を続けるのか?
- 周囲と断絶して世捨て人のような、無人島での断捨離人生のように人生を終えるのか?
人それぞれ、この冬の時期の過ごし方が違うからこそ、次に必ず訪れる春の時期にどんな人間になっているのか、とても楽しみなわけです。 その積み重ねが、その人の人格形成になっていくんでしょうね。
咲かぬ冬
下へ下へと
根をのばせ
作者不詳:私の冬の時期にココロに刻みつけた言葉
3. がんの神様ありがとう
医療の柱には「キュア(治す)」と「ケア(寄り添う・看取る)」の2つがあるといわれています。 でもまだまだ医療現場では「ケア」は欠けているそうです。
それは。
西洋医学中心の医学界では、「生」に対しては「死」=敗北だという二元論的思考が当たり前でした。
ということは、「死(=敗北)は避けなければいけない」という深い思い込みがあり、でも、それがあったからこそここまで医学を進歩させたことは紛れもない事実。
医学の世界というのは、科学的手法・科学的な考え方に基づいているから、対象とするのは見えるものだけ。 目で見えることや、様々な計測器を使って数値化できるものがすべて。
もちろん、データはとても説得力があり、最高のエビデンスですが、目に見えるものだけを追いかけているレベルでは、その先の突き抜けた世界:量子論は証明できなくなるのです。
量子論…分かりやすくいうと、『竜巻』と同じ。
竜巻は回転することによって物体として見え、凄まじい破壊力を持ちますが、回転が止まった途端実体はなくなってしまう。
これと同じで、「この世の事象というのは幻である」という東洋思想に、今では逆に科学が追いつき始めているのだそう。
つまり、生と死・粒子とエネルギーなど、二元的に考えられてきたことは、実はすべて繋がっていて一元論であるという究極にたどりついたのが長堀 優氏(育成会横浜病院長)
多くのがん患者さんを治療してきた外科医の立場として、手術でがんが治った患者と一方で、末期がんで余命1ケ月と宣告された患者さんがガン細胞1つ1つに「ありがとう」と10万回唱えたところ11ケ月でガンが完全に消えた事実をみていると、
やはり、人の思いとか祈りといった目に見えないものにも確実にエビデンスが存在している。
医学=科学ではなくて、医学=人間学であり、
人間の心を加味して考えるものであって、むしろその心の部分がとても大事で、科学がすべてであると思っているのは間違いである、と断言されています。
もちろん、科学全否定ではないので、西洋の科学と東洋の哲学との融合バランスが今後の医学界をリードしていく、とのこと。
実際に、感謝の祈りでガン細胞を消したとか、吉本新喜劇のDVDを見てガン細胞が消えたというエビデンスが増えている事実を鑑みるに、必ず訪れる【人生の冬の時期】を乗り越える方法はただ一つ。 【ココロを磨いて強くする】